平成18年特(わ)第4205号
公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等 の防止に関する条例違反
裁判速記録
日時・平成19年8月21日(火)
於・東京地方裁判所第429号法廷
 
 
裁判官: 神坂尚、宮本聡、大村るい 
検察官: 岩山伸二
書記官 石川百合子
 
午前10時 開廷
〔冒頭、報道による撮影あり
 
  1. 神坂裁判長 それでは、開廷いたします。  この段階で、弁護人のほうから証拠調べを請求されるわけですね。証拠調べ請求書のとおりということですけれども、64番ということになるんで、そういうことでお願いいたします。  これについて、検察官のご意見は。
  2. 検察官 これは同意いたしますが、この証拠は、かつてうちのほうで甲54で請求していた書証ですので、これを改めて請求させていただきます。
  3. 神坂裁判長 検察官のほうでも同一の書証を請求するということですね。59ぐらいかな。  検察官の請求については。
  4. 弁護人 同意いたします。
  5. 神坂裁判長 それでは、双方から申請ということで採用することにいたします。  それでは、採用することといたしますので、提出をお願いいたします。
  6. 検察官 立証趣旨がちょっと異なります。うちの立証趣旨は、かつて54で請求した立証趣旨です。要旨を。
  7. 神坂裁判長 じゃ、概要だけ述べてもらって。
  8. 検察官 Tさんが本件の状況について目撃した際のことを再現した内容です。

  9. 〔書証を裁判所に提出〕
  10. 神坂裁判長 それでは、今の書証の取り調べは終了いたしました。  検察官のほうで、本日の取り調べの請求を前提として、論告は従前のとおりということでよろしいですか。
  11. 検察官 はい、従前どおりです。
  12. 神坂裁判長 特につけ加えることはないですね。
  13. 検察官 はい。
  14. 神坂裁判長 じゃ、論告については従前のとおりということで。  それでは、弁護人のほうから、予定しておりました弁論を承ることにいたします。  では、弁護人のほうからお願いいたします。  (照明について)上2つをあれして、そっちをつけておけばよろしいですね。(パワーポイントを)見やすいと思うので。
  15. 弁護人 そうですね。このあたりだけ消して、後ろのほうはつけていても構わないです。

  16. 〔傍聴席照明を除いて消灯〕
  17. 神坂裁判長 じゃ、このくらいでいいですね。
  18. 弁護人 はい。
  19. 神坂裁判長 じゃ、どうぞ。
  20. 弁護人1 それでは、わたくし弁護人のほうから弁論させていただきます。  パワーポイントの機材を動かす関係上、失礼ですが、座ってやらせていただきます。
  21. 神坂裁判長 どうぞ。

  22. 〔以下、適宜パワーポイントを示しながら弁論)
  23. 弁護人1 痴漢被害を訴えている女性は、品川駅を発車した直後から2〜3分の間、被害者の後ろに密着して立っていた犯人から、被害者の臀部左側面付近や右側面付近を犯人の手のひらと指でなで回すようにさわられたと供述しています。目撃者のTさんも、男が被害者の後ろに密着して立っていて、男の左手が被害者の臀部付近をさわっていたと供述しています。したがって、被害者が後ろに立っていた人物から、臀部付近をさわられるなどの痴漢被害に遭ったこと自体は肯定できるものと考えられます。
     被害者が痴漢被害に遭っていたと考えられる間、被告人が立っていた位置は、この図のとおり、被害者の右側少し後方です。被害者の後ろに密着するように立っていたのは、被告人とは別の真犯人であり、被告人は痴漢の犯人ではありません。
     被害者は、痴漢犯人を注意するために、耳にかけていたヘッドホンを外して、「やめてください」などと言いながら右回りに振り返ったと供述しています。そのとき被害者の臀部付近をなで回していた犯人は、被害者のヘッドホンを外す動作に気づき、とっさに危険を察知して右後方に2〜3歩後ずさりして、人と人との間に紛れたと考えられます。
     左のDVDの画面は、被害者がヘッドホンに(手を)かけたその瞬間あたりで、犯人役の後ろの男性が動き始める様子が描かれています。
     これはその続きですけれども、被害者が右回りに振り返り、ヘッドホンを外し終わって振り向き始めた時点、一番下の画像ですが、この時点では、既に犯人は後方に移動していることがわかると思います。
     この画面は、被害者が振り返り終わった様子を映したものです。被害者が右回りに振り返り終わった時点で、既に真犯人は人と人との間に紛れていたので、被害者は真犯人がだれだかはわかりません。一方、その時点で被害者のすぐ近くに立っていたのが被告人であり、被告人が被害者の抗議する言葉や急に振り返る動作に反応して、一たん被害者のほうに注目した後、右のほうに顔をそむけるような動作をしたことから不自然に感じて、被害者は被告人が犯人であると取り違えました。

     今説明した犯人、被害者、被告人の動きを図で示すと、このようになります。犯人が移動し、被害者が振り向き、同時に被告人が動いた、この一連の連続した動作の中で、被害者は被告人を犯人と誤認したのです。
     それでは、一応念のため、今のを動画で再現してみます。
    (動画)
     もう一度。
    (動画)
     今ストップさせましたけれども、これが被害者がヘッドホンに(手を)かけた瞬間です。このとき、ようやく犯人が手を離したということになります。で、振り返ります。このような状態です。  もう一度。
    (動画)
    これが弁護人が想定する真犯人の動きです。

     このように、被害者が取り違えたことに影響を受けて、目撃者のTさんも犯人を取り違えた可能性があります。被害者が犯人を取り違えるはずがないという思い込みがあり、被害者が抗議している男性こそが、自分が先ほど見た犯人に違いないと考えて、被害者が被告人を犯人と取り違えたことに影響を受けて、Tさんも被告人を犯人と取り違えてしまった可能性があります。この経過については、後で詳しく説明したいと思います。
     それから、ほかの乗客、そして逮捕者のKさんも、同じように、被害者が被告人を犯人と取り違えたことに影響を受けて、被告人を犯人と取り違えたと思います。

     以上が本件の真相であります。すべての誤りは、被害者が被告人を犯人と取り違えたことに端を発していると考えます。
     これから弁護人が論じることですが、まず、被害者の供述と目撃者のTさんの供述は、犯人の識別供述としての信用性が低いことを論じます。それから、逮捕者のKさんの供述が被告人の供述を支えていること、また弁護側目撃者の供述が被告人の供述を支えていることを明らかにします。そして、これらを通じて、被告人は犯人ではないということをはっきりさせていきたいと思います。
  24. 弁護人2 次に、被害者の供述の信用性について述べます。
     検察官は、被害者の犯人識別の根拠として、幾つかの根拠を挙げています。しかしながら、その犯人識別供述は、被告人を犯人と断定する根拠にならない、あるいはその信用性に疑問があり、結局のところ、被害者の犯人識別供述は信用しがたいと言わざるを得ません。
     以下、検察官が挙げる諸点について、逐次検討していきます。

     被害者が犯人を確認するために、みずからの左臀部をさわっている犯人の左手を確認したところ、その手が来る方向、角度から、真後ろの人間であることが確認できたという供述があります。しかし、被害者から犯人の左手が見えたという事実があったとしても、それによって被告人が犯人であると識別できたわけではありません。単に、被害者の横や斜め後ろではなく、真後ろにいた人物が痴漢犯人と識別できたというにすぎないのです。
     傘の実験についても、実験当日は雨が降っていたというのでありますから、乗客はほとんど全員傘を持っていたでしょうし、茶色っぽい木材の取っ手というのは、傘の取っ手として珍しいものではなく、むしろ一般的なものであります。
     したがって、被害者のこの供述部分に信用性があっても、そこから明らかになることは、被害者の真後ろに密着して立って、かつ茶色っぽい木材の取っ手がついた傘を持った人物が、痴漢犯人であるということだけです。そして、後に詳述するように、被告人は被害者の真後ろに立ってはいなかったのですから、被告人は痴漢犯人ではありません。

    しかし、この被害者供述には、これとは別に看過しがたい問題点があります。すなわち、被害者が体自体を折り曲げずに、単に顔をほぼ横に向けて、視線をやや下に向けるという姿勢から、自己の左臀部をさわっている犯人の左手、さらには手首にかかった傘の取っ手を見ることは不可能なのです。
     左側は甲37の写真で、右は甲38の写真です。左腕に遮られないように視線を延ばすと、犯人の手や傘の取っ手を見ることはできません。逆に、この姿勢をとって下方を見たとき被害者の視界に入るのは、右側の写真のような状況なのであります。右側の甲38の写真は、カメラを被害者の目の位置ではなく、この位置に置いているからこそ撮れる写真なのであります。
     他方で、自己の左臀部をさわっている犯人の人さし指、中指、薬指、小指、手の甲、そで口、さらには手首にかかった傘の取っ手を見るためには、体をこの図のように極端に折り曲げなければなりません。しかし、この姿勢をとれば、犯人は警戒して、その時点で痴漢行為をやめるでしょう。
     結局、被害者が甲37の写真のような姿勢で、犯人の左手の人さし指、中指、薬指、小指、手の甲からそで口までが見えたという供述は、客観的にはあり得ないので、虚偽供述と言うほかありません。そして、この虚偽供述は、被告人を犯人であると誤認した上で、被告人の言い逃れは許せないという気持ちから、視認状況を誇張して述べたものと考えられます。

     次に、被害者は、犯人が被害者のスカートをたくし上げて、下着の上から臀部をさわるという行為を始めたことから、痴漢犯為をやめさせるために、右回りに振り返って「やめてください」と言ったときに、犯人の顔、姿を見た、これが被告人であったという供述をしています。しかし、振り返って見たのが犯人であるというのは、被害者の誤解であり、真犯人は別のところに立っており、被害者は犯人と間違えて、被告人の顔、姿を見たのですが、その誤解のまま被告人を犯人と思い込んでいるのです。
     被害者、犯人、被告人の位置は、この図のような位置関係にありました。そして、被害者がヘッドホンを外そうとすることに気づいて、犯人はこの図の黄色い線の方向に移動します。次に被害者が右回りに振り返ると、振り返った目の前に被告人がいます。
     もう一度その動きを再現してみます。まず犯人が後ろに逃げます。次に被害者が右回りに振り返ります。最後に、被告人は絶対にかかわり合いになりたくないと思って、向きを少し右側に変えて、目をつぶって下を向きます。
     このような可能性が十分にあることは、弁護人が再現実験をした様子を撮影したDVDビデオからも明らかです。
     今度はそれをスライドで見てみましょう。被害者は急にヘッドホンを外そうと手を上げますが、その行為によって、犯人は当然、被害者が犯人逮捕に向けた何らかの行為をとることを予測することができます。そこで、犯人は痴漢行為をやめて後方に移動を始めます。被害者が振り返り始めるころには、犯人はもう後方に移動し終わっています。そして、振り返った被害者の目の前には被告人がいたのであります。
     検察官は、DVDビデオの真犯人は弁護人が設定した架空の産物であると言いますが、この位置関係は被告人の供述に基づくものであるほか、K証人(※逮捕者)の供述によっても基本的に裏づけられています。

     K証人の証言によれば、最初にK証人が被害者の声を聞いて振り返ったときに、K証人、被害者、被告人は、この図のように、一直線上に並んでいたということであります。この位置関係は、被告人は被害者の真後ろではなく、被害者の右後ろにいるというものであって、基本的に被告人供述と一致し、弁護側作成のDVDビデオの被告人の位置とも一致しています。
     次に、被害者は、被告人が2〜3歩ないし1〜2歩下がって右を向いたという供述をしていますが、これは基本的には被害者の勘違いであると考えます。現実には、被害者が振り返って被告人のほうを見る前に真犯人が後退していたので、被害者は被告人を犯人と思い込みます。犯人は被害者に密着していたわけですから、被害者にとっては、密着していた人間が離れていくことになります。そこから犯人が後退したという印象を持ったでしょう。そのような印象と、被告人が向きを少し右側に変えたことが結びついて、被害者は、被告人が後退して右に向いたものと誤って知覚、記憶したものと考えられるのです。
     被害者が振り返った後の被告人の行動をスライドで見てみましょう。
     被告人は、被害者がやや大きな声を出していたことから、痴漢騒ぎが起きたのではないかと思い、絶対にかかわり合いになりたくないと思って、このように向きを少し右側に変えて、目をつぶって下を向いたのです。その被告人の様子を見て、被害者は、犯人は目の前にいる被告人に違いないと思い込みます。そして、密着していたはずの痴漢犯人が離れていることから、被告人が2〜3歩ないし1〜2歩後退したに違いないと思い込みます。
     しかし、被害者が振り返った後、被告人が2〜3歩ないし1〜2歩後退したという事実がないことは、K証人の供述によっても裏づけられています。前述のように、最初にK証人が被害者の声を聞いて振り返ったときのK証人、被害者、被告人の位置関係は、この図のような位置関係であります。被害者の右後ろの非常に近い位置に被告人がいます。そして、K証人が振り返ってから被害者の近くに行くまで被告人は移動していません。被告人が2〜3歩ないし1〜2歩後退したら、K証人の供述よりもずっと大きく離れることになってしまいます。

     また、被害者は、被告人が左手ないし右手を自己の顔の前に置いて、失敬、失敬というように軽くおじぎしたという供述をしていますが、これは被告人が犯人であると思い込んでいるために、被告人のしぐさに過剰な意味を読み取っただけにすぎません。
     最初、K証人が振り向いたときや被告人の近くに行ったときに、被告人がつり革につかまっていなかったというのは、K証人の記憶違いである可能性もある一方で、被告人も明確には供述していませんが、ずっとつり革につかまっていたというわけではなく、一時的につり革を離れていたことも何度かあったのではないかと考えられます。特に被害者のやや大き目の声を聞いてびっくりしたときや、被告人が向きを少し右側に変えたときなどは、無意識的につり革を放している可能性が高いと考えられます。
     そうすると、被告人がつり革を放した状況から、右手でつり革をつかんだという動作もあったのではないかと考えられます。しかも、前述のように、被告人は絶対にかかわり合いになりたくないと思って、向きを少し右側に変えて、目をつぶって下を向いていたので、その様子を見て、被害者は、右手を自己の顔の前に置いて、失敬、失敬というように軽くおじぎしたというように過剰に解釈し、過剰な解釈の影響下に誤って知覚ないし記憶したのではないかと考えられるのであります。

     また、被害者は、K証人が被告人の体をポンポンたたいて「連れていくよ」と言ったところ、被告人はコクリとうなずいたという供述をしていますが、これも被告人を犯人と思い込んでいるために、被告人のしぐさに過剰な意味を読み取ったにすぎないものであります。
     被告人は著名人であり、また以前にも事件に巻き込まれたことがあったので、この場では絶対に騒ぎにしたくないと思って、K証人に体をつかまれても大声を出すこともなく、目をつぶって顔を下に向けた状態でいました。イメージ図であらわすと、この図のような状態です。この様子を見て、被害者は、K証人が「連れていく」と言ったときに、被告人がコクリとうなずいたというように過剰に解釈し、過剰な解釈の影響下に誤って知覚ないし記憶したものと考えられるのであります。
     さらに、被害者は、被告人がK証人にネクタイをつかまれたときに、被告人が被害者のほうに向かって歩いてきて、何だかはっきり覚えてはいないが、「ごめん」か何かそのような言葉を被害者に言ったという供述をしていますが、これはK証人の供述から誤りであることは明らかであります。これは被害者が、被告人が犯人であることを強調するために誇張しているか、あるいは被告人が犯人であると思い込んでいるために、被告人の様子から過剰な意味を読み取っただけにすぎません。
     K証人が被告人のネクタイをつかんだときのK証人、被告人、被害者の位置関係は、この図のようなものでした。K証人が被害者を助けるために被害者、被告人の近くに移動した後、被害者と被告人の中間の位置に立ち、その状態が京急蒲田駅近くまで続いたというのです。そして、K証人が被告人のネクタイをつかんだのは、電車が京急蒲田駅に着く直前、アナウンスが流れたり、電車にブレーキがかかったりして、普通に電車をおりる準備をするタイミングでの出来事です。それからドアがあくまでの間隔はそれほど長くありません。そして、そのままドアが開いて、2人が先頭で出ていったというのであります。
     K証人はネクタイをつかんだ本人であり、かつ被害者より冷静であったと考えられますから、ネクタイをつかんだ時期や、そのときの被害者、被告人との位置関係について、被害者より冷静に知覚、記憶していることは明らかであります。しかし、K証人が被告人のネクタイをつかんだときに、被告人が被害者のほうに向かって歩いていって、「ごめん」というような言葉を言ったという供述は全くしていないのであります。
     それどころか、K証人は被告人の様子について、一瞬ちょっと、ああ、失礼みたいな感じの手の動きで身を引いた後は、知らんぷりというか、大半目をつぶっていた印象が強いと供述しています。さらに、K証人がネクタイをつかんでから下車するまでの時間的間隔や、K証人、被害者、被告人の位置関係からすれば、被告人が被害者のほうに向かって歩いていって、何か言葉を言うというような状況は、時間的にも場所的にも起こり得ないと言うほかありません。

     最後に、被害者は、被告人は被害者に対して、「痴漢をやっていない」とか「人違いだ」とかいうようなことは全く言っていなかったという供述をしていますが、これは被告人を犯人と断定する根拠にはなりません。被告人は著名人であり、また以前にも事件に巻き込まれたことがあったので、この場で絶対に騒ぎにしたくないと思って、K証人から犯人として体をつかまれても、大声を出すこともなく、つり革をつかんで、目をつぶって顔を下に向けた状態でいました。それは被告人の立場・身上・経歴等からすれば、十分に了解可能な事柄であり、被告人を犯人であると断定する根拠にはなりません。しかし、周囲からは犯行を認めているように見えたのです。

     以上述べたことから明らかなように、被害者の供述から明らかになったことは、被害者が痴漢行為に遭ったこと、そしてその犯人は被害者の真後ろに密着して立っていた男性であるということであります。しかし、被告人がいたのは、真後ろではなく右後ろです。ですから、被告人ではありません。被告人は無罪なのです。
     検察官は、その真犯人は弁護人が設定した架空の産物であると主張しますが、真犯人の存在の合理的な可能性は、すなわち被告人の無罪を意味するものであるはずです。この主張が被害者の供述と矛盾するものではないことは以上に述べたとおりであり、かつK証言によって基本的に裏づけられているのであります。しかも、次項において詳述するように、T証言と積極的に矛盾するものでもありません。
  25. 弁護人1 次に、Tさん(※検察側目撃証人)の供述の信用性について説明したいと思います。
     Tさんは、「被害者の女性に男が後ろから密着していて、その男が左手で被害者の左おしり側面付近をさわっているのを見た」と言っています。そして、「その男が被告人だった」と言っているわけです。これはすなわち犯人が被告人であったという犯人識別供述であると言えます。
     しかし、Tさんは、犯人の男について、「眼鏡については、かけていたか、いなかったか覚えていません。眼鏡については余り記憶がないので、わからないのです」と供述しています。これは事件当時、被告人がかけていた眼鏡です。この眼鏡は、ごらんのように、セルロイドのフレームで、青と紫がまざったような特殊な色の眼鏡です。特に事件当時、被告人が来ていた紺の上下のスーツとはかなり違和感があって、印象に残る眼鏡です。被告人が眼鏡をかけている様子は、このようになります。
     Tさんは、犯人の顔について、「少しうつろな目をして、ボーッとしていたような感じです」と具体的に供述していて、犯人の目を注視していたことがうかがわれます。したがって、眼鏡についてのTさんの供述からわかることは、このようになります。Tさんは犯人の目を注視していました。そして、被告人の横顔を見ていれば、眼鏡が記憶に残るはずです。しかし、Tさんは眼鏡について記憶していません。そうすると、Tさんが見た犯人は、眼鏡をかけていない、被告人とは別の男だったのではないかという可能性があります。
     先ほど私、スーツの色について、紺と言いましたが、これはグレーの間違いですので、そのように訂正させていただきます。

     次に、被告人は事件当時、肩に大きな重いかばんをかけていました。これは、かばんをかけている被告人の後ろ姿のイメージを図で示したものと見てください。しかしながら、Tさんは、痴漢行為をしている際の犯人の姿勢について、「重心が右に傾いていて、変な格好をしているというふうに思いました」と繰り返し供述しています。そして、犯人の右肩については、「右肩は見えていたけれども、かばんをかけていたという記憶もない」と供述しています。つまり、Tさんの記憶によると、犯人は右に傾いた姿勢で痴漢行為をずっとしていたことになります。
     しかし、このように右肩に重いかばんをかけていたとすると、かばんがずり落ちないようにしながら重心をとろうとするわけですから、体を右に傾けた姿勢を維持するのではなく、むしろ真っすぐの姿勢を維持するか、逆に左側に向くような姿勢をとるはずです。それでは、右に傾いた姿勢でかばんをかけているとどうなるでしょうか。こうなります。このままの状態でいたらどうなるかは、皆さんおわかりと思います。このように右に傾け続けていると、かばんがずり落ちてしまうと思います。もしかばんがずり落ちないとすれば、重心がとれなくて、右に倒れてしまうことが考えられます。
     犯人の姿勢についてのTさんの供述からわかるとおり、犯人は重心が右に傾いている不自然な格好をしていました。被告人が犯人であれば、右肩からかけていた重いかばんがずり落ちてしまう。したがって、Tさんが目撃したのは、右肩から重いかばんなどはかけていない、被告人とは別の人物だったのではないか、こういう可能性があることが言えると思います。

     その次の問題です。Tさんは、「犯人の左手が被害者の左おしり側面をさわっているのを見た」と供述しています。具体的には「指先も手の甲もそで口も見えました」、そして「手の甲とそでが一体として、肩も上から見えました」と供述しています。つまり、Tさんは犯人の手に注目していたことになるわけです。
     このように指先も手の甲もそで口も見えた。しかし、Tさんは、「男性が傘を左手首にかけていたことには気づいていません」と供述しています。被告人は左手に傘を持っていました。もし被告人が犯人で、左手で被害者のおしりをさわっていたとしたら、このように手首に傘をかけるしかありません。そうだとすれば、このように痴漢犯人の左手を見ていたTさんが、手首にかかっている傘に気づかないはずはないのではないでしょうか。したがって、傘についてのTさんの供述からわかるとおり、被告人が犯人であれば、左手首にかかっている傘にTさんが気がつかないはずはない。そうすると、犯人は、手首に傘をかけていない、被告人とは別の人物だったのではないか、こういう可能性があることになります。

     その次の問題です。Tさんは、被告人が事件当時と比べてやせていることに気づいていません。被告人は逮捕されたとき66キロから67キロでしたけれども、身柄拘束の間にどんどん体重が落ちていって、Tさんが証言したときは58キロくらいまで落ちていました。つまり、8キロから9キロやせていたということになります。しかしながら、Tさんは、「当時よりも顔つきがやせているとか、やつれているというような印象は持ちませんでしたか」という質問に対しても、「そういう印象は持ちませんでした」とはっきり言っています。
     そうすると、Tさんが目撃した犯人が被告人だとすると、被告人の顔が事件当時と法廷ではやせこけていることに気づいたはずであります。これに気がつかなかったということは、結局、Tさんが目撃したのは、被告人とは別の、実は被告人よりももっとやせていた男ではないか。逮捕時の被告人よりはもっとやせていた男ではないかという可能性があることになります。

     今、私は、Tさんが目撃した人物について4つの疑問があることを示しました。これを復習してみましょう。
     まず1つ目。Tさんは、痴漢行為をしている犯人の目を注視していたのに、被告人が犯人だとすると記憶しているべき印象的な眼鏡について、眼鏡をかけていたかどうかも記憶していません。
     2つ目。Tさんは、犯人の姿勢が不自然に右に傾いた状態で痴漢行為が行われたというふうに言っているわけですけれども、これは右肩に重いかばんをかけていた事実と合っていません。
     3つ目。Tさんは、犯人の左手に注目していたのに、被告人が犯人だとすると記憶しているべき、左手首にかけていた傘について記憶していません。
     4つ目。被告人が事件当時と比べて8キロから9キロもやせているのに、顔つきがやつれていることに気づいていません。
     結局、これらは、Tさんが目撃した人物が、被告人とは別の人物だったという重大な疑問を提起しているのです。

     次に、Tさんの公判供述をもう一度よく検討してみましょう。
     Tさんは、女子高生が振り返ったときの犯人の動きについて、「女子高生が振り向いた直後、1〜2歩後ろのほうに下がって、乗車したドアと反対のドアのほうを向きました」、このように説明しているわけです。しかし、この供述のうち、被害者が振り向いた直後に犯人が動き出したという部分は、明白な誤りであると考えます。以下、それについて説明します。
     これは、犯人が離れる前に被害者が振り返るとどうなるかということを図示したものです。Tさんは、犯人が被害者に密着した状態だったと述べていますが、この状態で、犯人が離れる前に先に被害者が振り返るとどうなるでしょうか。このように、犯人が被害者とぶつかってしまいます。これはだれが考えてみてもわかることです。
     実は被害者も、「犯人は、私が振り向いているということに気づいたときに放したものだと思います」とか、「振り向く寸前におしりから手が放れました」というふうに供述しているのです。したがって、犯人は、被害者が振り向くよりも先に離れていたことが客観的事実として明らかだと思います。したがいまして、弁護人の主張として、被害者がヘッドホンを外す動作をしたときに、犯人が素早くこれを察知して、被害者から離れる動作を開始したと考えるのが最も合理的だと思います。

     次に、もう一度Tさんの供述を分析してみましょう。
     Tさんは、被害者から離れた犯人の動きについて、先ほど言いましたように、「1〜2歩後ろのほうに下がって、乗車したドアと反対のドアのほうを向きました」と述べています。したがって、このような動きになります。これが公判供述の場合です。ただ、Tさんが後につくった供述書によると、この動きはちょっと変わります。このように右後方に下がったことになります。いずれにしても、Tさんの供述によれば、犯人と、被害者が抗議していた相手の男は同一人物だったということになりますが、実は被害者が抗議をしていた際の相手の男の位置について、Tさんの具体的な供述は存在していません。

     それでは、今度はKさんの証言を見てみましょう。
     Kさんの証言では、被害者が抗議していたときの男の位置は、この図のようにはっきりとしています。逮捕者のKさんは次のように説明しています。まず、Kの場所で被害者の声を聞いて振り返った。被害者はアの地点で右肩から振り返り、被告人はイの地点にいて、被告人と被害者の間には人が入れるようなスペースはなかった。両者の位置は近づいていたというふうに言っています。
     Tさんが供述する、1〜2歩後方に下がった犯人の位置と、今この図で見ていただく、Kさんが供述する被告人の位置は、明らかに異なっています。Kさんは逮捕者であり、被告人が犯人であることを裏づけるような供述をする動機はあっても、被告人に有利な供述をする傾向はありませんから、被害者が振り向いたときの被告人の位置について、Kさんの供述の信用性は高いと考えられます。
     犯人が後方または右後方に1〜2歩下がったというTさんの供述と、Kさんの供述する被告人の位置をもし整合的に考えるとすれば、このような結論しかないのではないでしょうか。被告人は犯人ではなく、Tさんは、犯人が1〜2歩右後方に移動してドアのほうを向くのを目撃したものの、その後、人の間に紛れてしまった犯人の動きを見ておらず、その間、犯人を見失っていたと考えるしかないのではないでしょうか。つまり、Tさんが供述する1〜2歩後方に下がった犯人の位置と、Kさんの供述する抗議したときの被告人の位置は明らかに異なります。したがって、Tさんは、犯人が後方に移動する様子を目撃したものの、その後、人の間に紛れてしまった犯人を見失っていたと考えるしかないのです。

     それでは、なぜTさんは犯人を見失ってしまったのでしょうか。これについては推論するしかありませんが、次のようなことが考えられます。犯人が後ろに下がり、ドアのほうを向く様子を見た。しかし、その直後、被害者が声を出しながら振り返った。電車内ですぐ近くに立っていた女子高生が急に声を出して振り返れば、人間、その動きに注目して、ほかの乗客の動きに注意がいかなくなってしまうのは、知覚心理学的に見ても裏づけのある事実です。つまり、Tさんは、被害者の動静に注目していたので、そのときの犯人の動きを見ていない。この間に犯人の位置を見失ってしまった。そして、被害者が注意している被告人こそが犯人だと取り違えたのではないでしょうか。つまり、被害者の女子高生が犯人を間違えるはずはないという一般的な思い込みがあって、このような取り違えが生じたと考えられます。

     次に、被害者が被告人に抗議をしているときに、果たしてTさんから真犯人の顔や被告人の顔がよく見える位置関係にあったのかという観点で、今の問題をもう一度検討してみましょう。
     これは先ほど言いました公判供述の場合の男の位置です。これが供述書の場合の男の位置です。これに被告人の供述する被告人が立っていた位置を書き加えると、こうなります。被告人はこのように立って、こちらを向いたことになります。
     さて、このような状況で見てみると、Tさんの顔の向きと、犯人である男の顔の向きは、向いている方向が同じなので、Tさんからは犯人の顔が見えない状態になっていたことがわかります。一方、被告人の顔のほうも、このようにTさんの顔の位置とかなり方向が近いので、見えにくくなっています。また、被告人の姿は、被害者の女性がかなり妨げになっていて、隠れていた部分もあることがわかります。つまり、Tさんからは、真犯人の顔も、被害者が注意していた男、つまり被告人の顔もほとんど見えなかったということが考えられるのです。
     Tさんが被告人を犯人と取り違えた経過について、もう一度整理してみると、被害者が振り返った後、Tさんからは、真犯人の顔も、被告人の顔もよく見えなかった。被害者の女子高生が犯人を取り違えるはずがないという思い込みや、被害者が被告人を犯人と取り違えたことに影響を受けて、Tさんも被告人を犯人と取り違えたのではないでしょうか。心理学の記憶の研究においても、被験者に誤った情報がわざと提示されると、被験者の記憶が影響を受けて、誤った記憶が再生されるということが、多くの実験によって確認されているところであります。

     次に、Kさんが電車内で被告人を逮捕してからの状況について、Tさんがどのように言っているか。
     Kさんが電車内で被告人を逮捕してから、蒲田駅でおりるまでの間のTさんの供述を見ても、その間、被告人の顔をよく見たというような供述は実はありません。むしろ、公判供述を幾ら見ても、この間、被告人の顔をよく見たかどうか、Tさんの供述はないと言えます。
     Tさんは、被告人の顔をテレビなどで見て、事件の前から知っていたと言っています。しかし、一方で、電車内では、被告人や犯人が植草一秀だと気づいていなかったとも言っています。そして、事件後の9月14日に、友人からのメールで、昨日の事件の犯人は植草元教授じゃないか。9月14日にインターネットのヤフーのニュースを見て、このメールとニュースによって強い影響を受け、犯人が植草一秀であることを確信するようになったというふうに言っているわけです。
     つまり、Tさんは、事件当時は被告人や犯人の顔を正確に観察、記憶していなかったにもかかわらず、ニュースや友人からのメールで、植草一秀が捕まったという情報を得て、犯人イコール植草一秀である、自分がよく顔を知っている植草一秀であるということで、顔の特定の記憶がつくられていったと考えられるのです。

     以上、Tさんの供述の信用性についてまとめると、次のようになります。
     Tさんの目撃した人物には、4つの重大な疑問がある。これは先ほど述べました。
     Tさんは、犯人が被害者から離れた後、犯人を見失っています。
     Tさんは、被害者が被告人を犯人と取り違えたことに影響を受けて、被告人を犯人と取り違えました。
     Tさんは、被告人や犯人の顔を正確に観察、記憶していませんでした。事件後の友人からのメールやニュースに影響を受けて、被告人植草一秀が犯人であると確信するようになりました。
     すなわち、Tさんの犯人識別供述の信用性は極めて低いと言えると思います。

     次に、逮捕者であるKさんの供述について述べます。
     まず、Kさんの供述の位置づけです。
     これが先ほども説明しましたKさんの供述です。もう一度復習してみましょう。Kの場所で被害者の声を聞いて振り返り、被害者はアの地点で右肩から振り返り、被告人はイの地点にいて、被告人と被害者の間に人が入れるすき間はない。そして、振り返った瞬間は、抗議の声に反応して、被告人は@のほうを向いていた。それ以降はやや外す感じでAのほうを向いていた、このようにKさんは言っています。
     一方、Tさんの場合は、先ほども言いましたように、このような動きを犯人がしたと言っているわけです。先ほどから言いますように、このような供述をしているわけです。Tさんの供述書と公判供述は、後方か右後方かでは異なっていますが、いずれも被告人から相当離れた位置、後方に男が移動しているという点では一致していて、この点でTさんの供述とは大きく異なっています。
     次に、被害者の事実説明による振り返ったときの男の位置です。被害者の事実説明によると、犯人は一、二、三歩後退して、右側を向いたことになります。これはTさんの公判供述と比較的近い内容ですが、やはり犯人が被害者からずっと離れたところに立っているのがわかると思います。したがって、Kさんの供述とは明らかに異なっています。
     つまり、犯人は被告人から離れたところに移動している。一方、被告人は被害者の右後方に立っていたことになりますから、Kさんの供述は、被告人が犯人でないことを示す極めて重要な証拠であるということになります。
     これは、被告人が供述する被告人が立っていた位置を、Kさんの証言調書に加えた図面です。Kさんの供述する被告人の位置と、被告人の供述する被告人の位置は、完全には一致していませんが、重なり合う部分がかなりあるのはわかると思います。被害者の右後方の近くという点では、ほぼ合致しています。
     また、Kさんは、先ほども言いましたように、被告人が@の方向からAのほうに向きを変えたと述べていますが、これも被告人が向きを変えたと言う方向とほぼ合致しています。
     また、Kさんは、このときに被告人がつり革につかまっていなかったと述べていますが、実は被告人は、捜査段階の供述調書から公判供述まで一貫して、被害者が振り返ったときにつり革につかまっていたかどうか、記憶がはっきりしないと述べているのでありまして、この点についても、被告人供述とKさんの供述は反していません。
     Kさんの供述する被告人の位置と、Tさんと被害者の言っている被害者から離れた犯人の位置は、異なっています。一方、Kさんの供述と被告人の供述は、被害者の右後方の近くに立ったという点で基本的に合致しているわけです。このことから、被告人が犯人ではないことが明らかになっています。

     さて、その次に、Kさんは被害者が振り返った瞬間の被告人を見ている。そのとき被告人は移動していない。この点について説明したいと思います。
     まず、Kさんが振り返ったときの被害者、Kさん、被告人の動きを、イメージ図で再現してみましょう。まず、被害者がアの地点で右肩から振り返ります。動きが速かったので、もう一度やってみます。こういう動きです。このようにKさんは、被害者がアの地点で右肩から振り返っていて、被害者の振り返った方向を目撃しています。また、振り返った瞬間は、抗議の声に反応して、被告人は@のほうを向いていたと言っています。やはり振り返った瞬間の動きを見ていることになります。つまり、Kさんは、被害者が振り返った瞬間の被告人を見ているということが言えるのです。
     次に、Kさんは、被害者が振り返った瞬間の被告人の動きについて、次のように述べています。「やや身を引く感じはありました。右手を上げてちょっと引く動作はありましたけれども、先ほども言ったように、足を歩んだりするようなスペースはありませんので、特に移動はありません。のけぞらせるような動きがまずあったと思います。あと、足の移動は、あっても、半歩か1歩ぐらいしか動く余地はなかったと思います。動いた印象もあります」。
     被告人がちょっと身を引くような感じで右手を軽く上げたという動作は、被害者の突然の動きに驚き、身を引きながらたじろいだ被告人の反射的な動作と考えることができます。つまり、もともとその場に被告人が立っていたときに、被害者が突然振り返ったという状況をKさんは述べていると想定するのが整合的だと言えます。

     次に、Kさんが真犯人の動きを見ていないのはおかしくない。真犯人が右後方に移動できるだけのスペースがあったと考えられる。この点について説明したいと思います。
     Kさんは、被害者の声がした後で被害者のほうを向いたと述べていますから、被害者が振り返る動作の終わりのほうを目撃したと考えられます。そうすると、先に移動している真犯人は、Kさんが振り向いたときには、何食わぬ顔をして被告人のほうを見ていたことになります。つまり、この図で言えば、上の状態や2番目の状態です。この状態をKさんは見たということになります。そうすると、真犯人、この男ですけれども、既に移動を終わって、被告人を何食わぬ顔で見ていますから、Kさんが真犯人の怪しい動きを目撃することができないのは当然であるということになります。

     次に、込みぐあいについてのKさんの供述を考慮しても、なお真犯人が先に移動するスペースがあったと考えられることについて説明しましょう。
     Kさんは、電車内は人が素早く移動することができるような状態ではなかったと供述しています。しかし、Kさんが立っていた場所と、被害者やTさんが立っていた場所は異なっています。そして、Tさんは、実際に犯人が後ろに1〜2歩後退したと述べていて、真犯人が素早く1〜2歩後退できるだけのスペースが、現実に被害者の後方にあったことを認めています。したがって、Kさんのこの供述を考慮しても、なお真犯人が移動するだけのスペースがあったということになります。
     以上をまとめますと、まずKさんは逮捕者であり、一般論として、被告人の犯人性を裏づける供述をする動機があります。そのKさんが、被害者が振り返ったときの被告人が立っていた位置について、被告人の供述とほぼ合致する証言をしているということは、このKさんの供述、証言の信用性は高いと言うべきであります。
     被害者の供述とTさんの供述によれば、犯人は被害者の真後ろに密着して立っていて、1〜2歩後退したことになります。一方、Kさんと被告人の供述によれば、被告人は被害者の右後ろのすぐ近くに立っていたことになります。つまり、犯人のいる位置と被告人のいる位置は違うのです。したがって、被告人は犯人ではないことが明らかになるのです。
  26. 弁護人3 では、次に、弁護側の目撃証人の証言について述べます。
     まず、弁護側目撃証人の重要性についてです。
     検察官は、平成18年9月13日午後10時8分ころから同日午後10時10分ころまでの間、被告人が痴漢行為をしたと主張しています。午後10時8分というのは、被告人が乗車した電車が品川駅を発車した時刻です。つまり、発車と同時に痴漢行為を開始し、その後2〜3分間にわたり痴漢行為を継続していたというものです。この実行行為の開始時刻の特定は、被害者が発車と同時に痴漢行為の被害に遭ったという供述に依拠するものです。

     これに対して、弁護側の目撃証人は、品川駅で乗車すると同時に被告人を発見し、それ以降、乗車した電車が青物横丁駅を通過するあたりまでずっと被告人を目撃していた。しかし、被告人は痴漢行為をしていなかったと証言しているものです。
     被告人が乗車した電車は、品川駅を午後10時8分に発車しました。次の停車駅である京急蒲田駅に午後10時18分に到着しています。時刻表のデータによれば、快速特急電車が品川駅を発車して青物横丁駅を通過するまでに2〜3分間を要するのですから、青物横丁駅を通過するのは午後10時10分ごろだということになります。つまり、検察官が、被告人が痴漢行為をしていたと主張するのと同じ時間帯に、弁護側の目撃証人は、被告人が痴漢行為をしていなかったと証言しているのであります。この証人の証言は、被告人の無罪を裏づける決定的証拠にほかなりません。

     では、弁護側の目撃証人が具体的にどのような証言をしているのかについて述べたいと思います。
     まず、証人が電車に乗り込んだところで、車両中央付近に被告人が立っていることに気がついたということです。証人が品川駅のホームに着いたとき、ちょうど快速特急電車が進入してきたところでした。その電車を見ながら、ホーム上を電車の進行方向へしばらく移動した後、ほかの乗客の後について車両に乗り込みました。すると、その車両の中央付近に立っている被告人に気がつきました。
     証人は、被告人の前から左横をすり抜けて、後ろに回り込むようにして移動しましたが、その際に被告人の顔を間近で見て、どこかで見たことがある人だなと感じました。このときの被告人は、車両中央左側、つまり進行方向寄りのあたりの位置に立って、進行方向とは逆の方向に体を向けており、つり革につかまらないで、うつむくような姿勢で立っていました。このときの被告人の印象について、ちょっと青白い、身なりはきちんとしていたが、ちょっとだらしない人なのかなというものでした。
     そのような被告人を見ながら、証人は、被告人の左横側をすり抜けるようにして回り込み、進行方向左側の座席の前に立ちました。電車が発車する直前に、目の前の座席に座っていた乗客が立ち上がり、急いでおりていったので、証人は運よく座席に座ることができました。座ったときにドアが閉まり、電車が動き出したということです。

     証人が座席に座ってから被告人を見ると、被告人は、反対側の座席に近い位置に立っていて、反対側の窓の方向に体を向け、つり革に右手でつかまり立っていました。このときの被告人の様子について、証人は、ちょっとくたびれたサラリーマンがつり革につかまり、頭を下げているような姿だったという印象を受けました。証人はそのときも、だれだろう、どこかで見かけた人だなと思っていました。
     電車は午後10時8分に発車しましたが、このときの被告人は、右手でつり革につかまり頭をうなだれて、だらしのない様子でしたが、後ろを振り返るような動作があり、横顔が見えました。証人はその横顔を見て、ああ、やっぱり植草さんだと確かめることができました。
     その後、青物横丁駅あたりまでの間、証人は被告人の様子をずっと目撃していましたが、被告人は位置を移動することなく、左や右を見たり、電車が揺れると体を動かしたり、つり革につかまっていても体勢を保てずに、ほかの乗客にぶつかりそうな様子が続いたということです。しかし、青物横丁駅を過ぎて、大森海岸を過ぎたあたりまで、証人は被告人の様子を全く目撃していません。その間、証人は座席に座ったままウトウトしていたからです。つまり、品川駅を発車してから青物横丁駅あたりまで、証人は、被告人が女性に密着していた様子はなかったとはっきり証言しています。

     次に、この弁護側目撃証人の信用性について、具体的に7項目に分けて述べていきたいと思います。
     まず最初に述べることは、証人が証言するに至ったいきさつは極めて自然なものだということです。
     証人は、事件の翌日のニュースで被告人が痴漢容疑で逮捕されたことを知って驚きました。しかし、すぐに警察に名乗り出ませんでした。証人がすぐに名乗り出なかった理由は、面倒なことにはかかわりたくないと思い、自分でなくてもだれかが証言するだろうという気持ちを持ったことに加えて、マスコミが興味本位で報道していた状況をあわせ考えれば、被告人に有利な目撃状況を証言しようとするには、相当な勇気と決断が要求されることは想像にかたくありません。証人が事件後、直ちに名乗り出なかったとしても、何ら不自然なことではないのです。

     次に、証人は、被告人が車内暴力事件の被害者となって、ホームへ引きずり出されたと思い込んでいました。その理由は、被告人が酔ってだらしない状態でつり革につかまっており、つり革につかまっていても体勢を保てず、周囲の乗客にぶつかりそうな様子だった上、被告人を押さえた男性は静かで不気味な印象があり、そこに後から加わった男性が何かをわめき散らしており、一緒にホームへおりていった女性の姿は、いずれかの男性の連れのように見えたからです。

     そのような思いでいた証人が思い直したきっかけは、本年1月22日に、被告人が保釈されて拘置所から出てくる場面をテレビの報道で見たときでした。テレビで見たときに証人は、これほど長期に及んでも事件が解決していないことを初めて知り、かつ、自分が関与しなくても容易に解決されると思い込んでいたことが間違っていたことに気づきました。そこで、すぐにでも警察で目撃状況を説明しなかったことを悔やむとともに、何か協力しなければいけないという気持ちがわいてきたというのであります。
     しかし、証人が具体的に何をどうしたらよいのかわからず悩んでいたところ、本年2月13日、東京簡易裁判所の待合場所でたまたま隣り合った弁護士に「こういうことを見たのだが、どうですかね」と話をしました。すると、その弁護士は、とても大事なことだから、被告人の刑事弁護人に連絡するように助言をしました。弁護士としては当然のことでしょう。
     この弁護士は、証人を隣の弁護士会館に連れていき、調べましたが、だれが刑事弁護人を引き受けているのか、確認することができませんでした。しかし、「お互いに連絡先を調べよう。何かわかったら連絡する」と弁護士から言われて別れたものの、なかなか連絡がないので、みずから出版物やインターネットにより被告人の会社のファクス番号を調べることができ、手書きの文書を送信して、事情説明をすると申し出たのです。
     検察官は、事件後5カ月を経過するまで、警察に名乗り出るなどの具体的な行動に出ていないことは不自然であるかのように述べますが、以上述べたように、証人の性格や相談相手の有無、マスコミや社会、就業先等への影響と、そこから受けるであろうプレッシャーなど、さまざまな要因によるものであって、そのような目撃証人の心情を一般化して非難することは的外れであるし、不適切なことであります。

     次に、証人には事件に関する予備知識がなく、記憶のままに証言しているので、信用性が高いということについて述べます。
     まず、証人は、被告人とは一面識もなく、テレビ以外に見たことはありませんでした。また、被告人にコンタクトをとったものの、直ちに弁護人から返答があり、その後、被告人から隔離された状態に置かれたままでした。
     次に、証人は、事件内容に関する予備知識もないし、予断や偏見もないということです。証人は、被告人の供述内容も知らず、被害者の供述内容も知らず、その他の者の供述内容も知らず、そして公訴事実の内容さえも知らずに、この法廷の証言台に立ちました。自分の証言が被告人の無罪を裏づける決定的な証拠となり得るという認識さえ持つことなく、自分の記憶だけに基づいて証言したのです。

     次に、弁護側証人の証言内容が詳細かつ具体的である理由と、それゆえに信用性が高いということについて述べます。
     まず、証人にとっては、テレビでしか見たことのない著名人を間近に初めて見たという貴重な体験だったのです。最初に気がついたとき、「顔が合った」と表現しているとおり、極めて近接した距離で被告人を目撃しました。そのとき、どこかで見たことがあるなと思い、思い出そうと試みました。
     ヘアスタイルが特徴的だったという印象から、とても気になっていました。また、被告人がかけていた眼鏡の特徴について、「スーパーマンのクラーク・ケントがかけていたような眼鏡だ」と表現するほどに鮮烈な印象が残っていたことや、酒のにおいがした、まただらしない姿を目撃したということで、それまで抱いていたイメージに反するという意外性を感じたのであります。それゆえに被告人に対して強い関心を抱いて目撃していたのです。そのため、被告人に関する記憶は詳細で具体的であり、よく記憶に残っていたのであって、信用性が高いものであります。

     なお、検察官は、弁護側の目撃証人が乗車した際に、被告人が既に車両中央付近に立っていたという証言内容は、被告人の供述内容と矛盾するので信用できないと述べています。そこで、この点について若干述べておきたいと思います。
     まず、被告人は、品川駅の改札を通るときに、目の前に電車がとまっていて、「ああ、電車がいる」という光景だけを断片的に覚えていると供述していますが、その電車に乗ったとは一言も供述していません。改札を入ったときの光景を説明したにすぎないのです。被告人が実際に乗車した車両は改札口から離れていることを考え合わせれば、被告人が目撃した電車には乗車せず、一たんホームで電車の到着を待った上で、到着車両に乗り込んだものと推測されるのであって、改札口で目撃した電車に乗車した可能性はありません。その後に到着した電車に余裕を持って乗車したのであるからこそ、証人よりも先に車両内にいたのです。むしろ、パスネットの記録によって改札通過時刻が特定できるのにもかかわらず、検察官がその証拠調べを請求していないことにかんがみれば、改札口で目撃した電車には乗り込んでいないと強く推定されるのです。

     次に、弁護側目撃証人が被害者の声を聞いていないということには、合理的な理由があることについて述べます。
     検察官の主張によれば、被害者が声を出して抗議をしたのは、品川駅を発車してから2〜3分経過した後であって、前述のとおり、電車が青物横丁駅を通過したあたりだということになります。しかし、被害者の抗議の声がそれほど大きな声ではなく、しかも抗議の途中から涙声になったということは、その様子を目撃していたKが具体的かつ明確に証言しています。
     検察官は、被害者が大声で抗議したとか、叫び声だったなどと勝手に述べていますが、被害者の抗議が大声だったという証拠は全くなく、まして叫び声などという表現は、検察官の論告以外に見つけることができません。たとえ論告といえども、このように証拠にない事実をつくり上げて論じようとする検察官の行いは、厳に戒められるべきです。
     これに対して、弁護側目撃証人は、青物横丁駅を過ぎてから大森海岸駅あたりまでの間は、座席に座ったまま目をつぶりウトウトしていたと言うのですから、その間は、何か起きたかどうか全くわかるわけがないのであって、それはこの証人自身が正直に述べているとおりです。
     しかも、証人が座っていた位置からは、被害者の姿さえ視界に入っていなかったと言うのであり、また、被害者は証人に背を向けるような方向を向いて抗議したと思われることなど、そういう客観的な状況から判断すれば、ウトウトしていた証人が被害者の声に気づかなかったことには合理的な理由があります。

     次に、証人からは被告人の姿がよく見え、逆に被害者の姿が見えなかったことを合理的に説明する理由があることについて述べます。その理由について、証人の前のスペースがあいたままだったということと、座席側エリアはドア側よりもすいていた、この2点について述べます。
     まず、さきに述べたように、品川駅を発車する直前に証人は目の前の座席に座ることができたため、それまで自分が立っていたスペースがあいたままになったと証言しています。このときの状況を、証人がこの法廷で作成した図面に基づいて説明します。証人の位置を赤色で、被告人の位置をグリーンであらわすと、このようになります。証人の目の前があいたままなので、証人から被告人をはっきりと目撃することができます。
     この点について検察官は、この図面が、Kが立っていた位置をわざとずらして作成されたものであり、信用できないと非難します。検察官はK供述が客観的に正しいと言うのでありますから、そのK供述に基づくKの位置を追加してみます。青い色がKが立っていた位置です。すると、Kは証人の真ん前に立っていたことになるものの、被告人は証人から見ると斜め前方の方向に位置します。そのためKが被告人の姿を遮ることなく、証人の位置から被告人の姿をしっかりと目撃できるのです。

     次に、同じ電車の車両内でも、座席側エリアとドア側のエリアでは込みぐあいが違っていたことを説明します。ドア側のエリアは、駅で次々と乗り込んでくる乗客や次の駅でおりようとする乗客で込み合うことは、電車に乗ればよく見かける光景です。エリアによる込みぐあいの違いについて、弁護側の目撃証人は具体的かつ明瞭に区別して証言しています。つまり、ドア側のエリアでは多少人と人が触れ合うかもしれない状況であったが、座席側のエリアでは、つり革につかまって立っている人がまばらであった、このようにはっきり証言しています。

     次に、この目撃証人による時間の経過に関する証言内容は、信用性が高い点について述べます。
     弁護側の目撃証人によると、「青物横丁駅のあたりだった」とか、「大森海岸駅のあたりだった」という表現は、窓外の光景という客観的状況に基づく具体的かつ臨場的なものです。したがって、どのあたりでどうだったという時間の経過に関する証人の証言は、極めて信用性の高いものです。
     これに対して、ほかの供述者の「どこから何分くらいだと思う」という供述は、その者の主観的感覚に基づく説明にすぎないのであって、体験した事象等に関する驚愕や嫌悪あるいは好感等の心理的要因によって時間的感覚が左右されることは、社会的現象上、多々ある、とりたてて珍しいことではありません。「何分くらい」とか「何分間くらい」という供述者の説明は、客観的な証拠に何ら裏づけられたものではありません。したがって、電車に乗車してからの時間の経過に関する証人の証言は、客観的状況に基づく正確なものであって、信用できるものです。

     また、車両内の被告人の位置や乗客の位置、その方向に関する弁護側目撃証人の証言内容は、信用性が高いことについて述べます。
     この証人は、進行方向左側の座席の、ドアから2人目の場所に座っていたというものでありますから、その位置は客観的に動かしようがありません。しかも、座席に座れば、体の向きは当然、反対側、すなわち進行方向右側の座席の方向を向くのであって、その体の向きも客観的に動かしようがありません。したがって、被告人等の位置関係に関するこの証人の証言内容は、極めて信用性が高い。これに対して、「大体どのあたりだと思う」とか「どこから何歩目あたりだ」などと説明するほかの供述者の説明は、あいまいな記憶に基づくものであって、弁護側目撃証人の供述に比較すれば、信用性は低いと言わざるを得ません。
     以上のとおり、弁護側の目撃証人の証言は詳細かつ具体的であって、その証言態度は真摯で、虚偽供述を疑わせる余地が全くないなど、十分信用できるものであり、同証人が証言した目撃状況により、公訴事実が存在しなかったことは十分立証されていると考えます。

  27. 〔パワーポイント調整〕
    〔以下、適宜パワーポイントを示しながら弁論〕

  28. 弁護人4 それでは、被告人の供述等の信用性について弁論させていただきます。
     被告人供述等の信用性について適切に理解するには、被告人が直前に多量に飲酒をしているので、その影響を適切に理解することが不可欠です。
     被告人は、大崎駅にある中華料理店で多量のビールと紹興酒を飲み、午後10時52分ころから午後11時までの間に実施された飲酒検知の結果、呼気1リットル当たり0.47ミリグラムのアルコールが検知されました。それほどまでに飲酒した被告人は、飲酒直後に記憶、思考力を著しく低下させ、ぐったりし、さらにその後1人になってその程度を増大させましたが、その後、痴漢騒ぎに巻き込まれ、犯人として疑われ、取り押さえられ、駅事務所に、さらには蒲田警察署に連行されるうちに、その状態から脱していたということなのです。

     次に、被告人がタクシーを利用しなかった理由について説明いたします。
     被告人は、それまでに顧問先の人間と、大崎駅周辺で何度も飲食をともにしていましたが、帰宅の際、皆が電車で帰っていたので、いつも電車を利用していました。大崎駅のタクシー乗り場は、飲食していた大崎ニューシティの反対側でありました。また、被告人は、大崎駅近辺の構造が、JR、山手通り、目黒川が立体的に複雑に入り組んでいて、タクシーの利用は難しいと当時考えていました。また、何より、その日飲食していた顧問先の人間と一緒に大崎ニューシティ内の中華料理店からJR大崎駅改札付近まで流れたのであり、そのままJRの電車に乗ることが自然の流れであったと言うのであり、決して不自然ではないと思われます。

     次に、被告人が下り方面本件電車に乗ったことは、前述のとおり、多量の飲酒によって思考力を著しく低下させていたことによるものでしたから、不合理ではありません。

     電車内における被告人の位置、体勢は、図のとおりです。被告人は、公判廷において、被告人に有利に証言することなく、記憶に従って慎重に供述しております。電車内における被告人の位置、体勢に関する供述も信用性が高いと言えます。また、それは弁護側目撃証人の証言ともおおむね一致しています。
     被告人は、公判廷で「『子供がいるのに』というやや大きな声がして目をあけると、進行方向を向いて立っていた女性が振り返りつつ、右斜め前方、0.8〜1メートル離れた場所に移動する感覚が残っています」と供述しています。被告人は、それ以前とは異なり、「子供がいるのに」というやや大きな声が聞こえ、目の前の女性が突然振り返ったためにびっくりした結果、意識も急に覚めた状態になったのですから、かかる感覚が残っていても不自然、不合理ではありません。
     電車内における被告人の態度について、まず検察官は、「被告人は、被害者が『子供がいるのに』と言ったのを聞いただけで痴漢事件だと思った旨供述していることが、被告人が痴漢の犯人であったことを強く推認させる」などと主張しています。しかし、被告人は、言葉の内容だけでなく、その語調、言葉のトーン、女性の動作を含めて直観的に感じたと供述していますから、前提条件が異なると思われます。被告人の供述は、直観的に感じたという自然なものであるのに対し、検察官の主張は殊さらに前提条件をたがえたものでありますから、前者が合理的であることは明らかです。
     電車内における被告人の態度について、検察官は、「被告人は、被害者の言葉が自分に発せられたとは思わなかった旨供述する一方、かかわり合いになりたくないと思って、体全体の向きを右側に変えたのは不合理だ」とも主張しています。しかし、被告人が、被害者によるこの言葉が自分に発せられたとは思わなかったことと、その場で起きたことにかかわり合いになりたくないと思って体全体の向きを右側に変えたことは、何ら矛盾しません。また、かかわり合いになりたくないと思い、体全体の向きを右側に変えることは、何ら不合理ではありません。よって、不合理と評価すること自体、根拠がない表現と言わざるを得ません。
     電車内における被告人の態度について、検察官は、「被告人は、自分の右前に移動した女性からこの言葉が発せられたことを認識しつつ、女性と反対側の左側に体の向きを背けるのではなく、右側に、被害者をいわば通り過ぎる形で90度ぐらい体の向きを変えたのは不合理である」とも主張しています。しかし、被告人はもともと被害者に対し、ほぼ正面を向いていたのであり、「右側に、被害者をいわば通り過ぎる形で体の向きを変えた」との評価は当たりません。また、被告人がつり革を右手でつかんでいたことからすれば、右回りのほうがむしろ自然とも言えます。また、被告人にとっては、体の向きを変えること自体に意味があったと言えます。よって、不合理などと評価することは、根拠がない表現と言わざるを得ません。

     検察官は、「被告人が痴漢と間違われているのに大声で抗議しなかったことは了解不能」などと主張します。しかし、幾多の痴漢冤罪事件が存在することからも明らかなように、大声で抗議をしても、その場で真実が明らかになるとは限らず、騒ぎ立てられ、犯人に仕立て上げられる可能性もあります。加えて、被告人は、多くの人に名前と顔を知られている植草一秀であり、騒ぎになり、痴漢扱いされていることがわかれば、そのこと自体によって相当なダメージ、さらには前裁判と相まって、ネガティブな情報が土石流のようにはんらんする可能性が高いと考え、電車の中でとにかく騒ぎにしたくないという一念だったのです。そのような被告人の供述は、迫真性に富み、合理的であると言えます。検察官の主張は、状況を理解していない、あるいは想像していないということにすぎず、失当と言わざるを得ません。

     検察官は、被告人が「本件電車内で、痴漢については、自分は人違いであると考えていた」と供述する一方で、「だれか目撃した人はいませんか」などと声を上げていないことから、被告人の犯人性が明らかであるなどとも主張しています。しかし、被告人は、自分が痴漢を行っていないから、自分ではないという意味で、「自分は人違いであると考えていた」と述べているにすぎません。電車内で具体的にどのようなことが起こったのか、それが本当に起こったのか、被害者の狂言なのか全くわからなかったわけです。そして、被告人は、騒ぎにしたくないということで頭がいっぱいであり、極限状態でもありました。そのような状況で、車内に別に真犯人がいるということは考えていなかった。真犯人を探さないと、次の蒲田駅でおりて逃げてしまうとか、電車に乗って逃げてしまうなどということも考えなかったということは、不自然、不合理では決してないと思われます。

     次に、被告人は、蒲田駅内で自殺を図っております。その理由については、被告人は駅事務所まで連れていかれた時点で、前事件をはるかに超える悲惨な状況に思いをめぐらせ、瞬間的に極度のパニックに陥ったということであり、そのことが理由だったと考えられます。

     被告人が犯行を否認するそれぞれの言葉は、若干異なっております。まず、本件電車内では、Kに対し「何もしていませんよ」と抗議しています。また、駅事務所内で、Yに対して「女性と話をさせてくれ」と述べています。また、青木さんに対しては、認否については何も話しておりません。また、弁解録取時においては、警察官に対し「やった覚えがない」などと述べています。9月14日の取り調べにおいては、警察官に対し「やった覚えはない」などと述べています。そして、9月15日からは、検察官に対し「やっていない」と述べています。勾留質問時においては、裁判官に対し「そういうことはしていない」と述べております。
     このように、言葉のニュアンスが異なっておりますが、これは平成18年9月15日の検察官の取り調べまで、具体的に何を疑われているのかがわからず、その取り調べにおいて、疑われている内容が判明し、それなら絶対にないという確信を持つようになったという経緯によるものですから、不合理ではないと考えます。

     次に、青木ヒデオ供述の信用性についてです。青木ヒデオの供述と被告人の供述が相反しており、どちらが信用性が高いかということにつきましては、詳細は提出書面に譲りたいと思います。

     次に、繊維関係について述べます。
     まず、弁護人としましては、繊維鑑定の結果を前提とした事実認定は許されないものと思料いたします。弁護人は、市川の証人尋問、あるいは同人による繊維鑑定の結果を否定するに十分な証拠調べを請求したにもかかわらず、それは却下されております。裁判所が市川の証人尋問、あるいは同人による繊維鑑定の結果に基づいて事実認定するのであれば、著しく公平、公正に反するばかりでなく、正確な事実認定を誤ると言わざるを得ないと思料いたします。

     被告人に付着していたとされる繊維については、弁護人は、Yの衣服の構成繊維と類似していることは実証十分だと考えます。繊維関係につきましては信用性がないということを以下の3点で述べたいと思います。

     まず第1点目。鑑定結果は、色調が類似しているというにすぎないのであり、同一と断定するものではございません。すなわち、獣毛繊維とは「動物の毛」というだけの意味であり、羊、キツネ等、挙げれば切りがございません。ウールに限定したところで、なお一般的に着用する衣服の構成繊維にすぎません。要するに、被告人の手指から採取された繊維は、ごくありふれたウール繊維にすぎません。
     また、かかる繊維が鑑定以前のどの時点、例えば1分前なのか、1時間前なのか、1日前なのか、3日前なのか、またどこで、さらにはどのようにして被告人の手指及びネクタイに付着したか、特定することは不可能です。このように、繊維鑑定は、被告人を犯人と識別する証拠としての価値が極めて薄弱であったと思料いたします。
     また、仮にある者が両手で被害者の臀部を2〜3分間もなで回していたというのであれば、その両手指全体にスカート生地から脱離した構成繊維が過剰に付着するはずであり、しかも、被害者のスカートの構成繊維は合計4種類であったとされていますから、その4種類の構成繊維がすべて両手指全体に多量に付着し、付着している繊維の構成比率も、スカートの布地と同様の構成比率であるはずです。
     ところが、鑑定結果は、たった3本の繊維がスカートの構成繊維と色調が類似し、しかも類似していたのは1種類についてのみというものです。また、どのような仕組みで1種類のみが付着し、残る3種類の繊維が付着しなかったのかという説明もありません。さらに、被告人の両手の手指に付着していた多量の繊維片については、どのような繊維片がどのように分布して付着していたのか。また、その中で上記3本の繊維が手指のどの部分にどのように付着していたのかも明らかにされていません。したがって、被告人の手指に繊維が付着していたとされる状態は、不自然、不合理と言わざるを得ません。

     次に、被害者のスカートの繊維は、スカートの生地を構成している糸を切り取った上、この糸をほぐして採取されたとされていますが、具体的にスカートのどの部分の生地から採取されたのかは明らかにされていません。しかし、繊維は、磨耗、損傷、汗等による汚染・汚損、あるいは日光にさらされて変色・退色しますから、被害者がさわられ続けたと言うのが臀部である以上、端的にその場所の生地部分から繊維を採取すべきであり、しかも、被告人のネクタイ同様、粘着テープにより離脱した繊維が採取されるべきです。したがって、被害者のスカートの繊維の採取方法は不合理と言わざるを得ません。

     次に、市川さんは光学顕微鏡を用いて鑑定していますが、光学顕微鏡では、繊維の特定や鱗片の形状が不明瞭であり、精密な鑑定を行うことはできません。
     次に、市川さんは、繊維の色調について、強い青色、明るい青色、さえた青色等の表現を用いて、青色獣毛繊維を区別していますが、その具体的な色調の違いについて、合理的な説明があるとは言えません。
     次に、光学顕微鏡は、色調の鑑定に適しません。市川さんは「薄い色の木綿繊維は、糸をほぐしてしまうと、無色で観察される」などと証言しているのであり、光学顕微鏡観察が繊維の色調の判断に適していないことを自認していると言えるのではないでしょうか。
     繊維の形状に関する市川さんの証言は、獣毛繊維の性質に関する一般的な説明にすぎないにもかかわらず、殊さらに鑑定繊維の類似を強調しようとする意図的な表現に終始していると言えます。このような繊維の形状の類似性に関する市川さんの証言には、信用性がないと言わざるを得ません。

     弁論の結論です。
     まず、被害者やTさんの犯人識別供述の信用性は低いと言えます。そのことから、被告人は犯人ではないことが1つ裏づけられることになります。
     K供述は、被害者が振り返ったときに被告人が立っていた位置から、被告人が犯人ではないことを明らかにしております。また、弁護側目撃者供述は、被害者が振り返る少し前まで、被告人が痴漢行為をしていなかったことを明らかにしています。
     このように、弁護側目撃者供述は、被害者が振り返る少し前まで、被告人が痴漢行為をしていないことを明らかにするものであり、一方、K供述は、被害者が振り返ったときに被害者が立っていた位置から、被告人が犯人ではないことを明らかにするものであり、両者が相まって、被告人が痴漢犯人ではないことが明らかになったと思料いたします。

     よって、被告人につきましては、無罪判決が下されるべきであると考えます。
     以上でございます。

  29. 神坂裁判長 それでは、被告人、前に立ってもらえますか。

  30. 〔植草被告人、証言台の前に立つ〕

  31. 神坂裁判長 この事件については以上で審理を終了して、次回公判で判決を言い渡すことになります。
     審理を終了するに当たって、被告人のほうから何か言っておきたいことがあれば、どういうことでもいいですから言ってください。
  32. 植草被告人 はい。
     それでは、書面を用意しておりますので、読み上げる形で申し上げたいと思います。

    ================〔以下、意見陳述書朗読〕================

    平成18年(特わ)第4205号 公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為の防止に関する条例違反被告事件

    意 見 陳 述 書

    東京地方裁判所刑事第2部 御中
    平成19年8月21日
    被告人 植 草 一 秀



     私は嫌疑をかけられている罪を絶対に犯しておりません。

     私は平成18年9月13日午後10時8分に品川駅を発車した京浜急行京急久里浜行き電車に乗り合わせ、今回の事件に巻き込まれました。取り調べにおいて、品川駅京急改札口を通過する際に目の前に電車が止まっている状況を記憶していることを述べました。この電車に乗ったのかどうかについては、改札通過後、電車に乗る瞬間までの記憶が途切れているために分かりませんが、東京地方検察庁での取り調べの際に、取り調べ担当の名取検事から、私が当日使用したパスネット記載の改札通過時刻からすると、私が改札を通過したときには私が乗った電車はまだ品川駅ホームには入線していなかったはずだと指摘されました。  私は証拠として採用されている平成18年10月3日付検面調書において、「あなたが改札口を通ったときには、下り方向のホームにはまだ電車が入ってきていなかったようだが、その記憶は間違いないのか。」との問いに対して、「私としては目の前のホームにいたような気がしますが、私が改札口を通ったときにまだ下り電車が到着していなかったとすれば、何か勘違いをしているかも知れません。」と述べました。  第9回公判で証言した弁護側目撃証人は電車に乗る人の列の最後尾から電車に乗り込んだ際に、私がすでに電車の車内にいたと証言しました。つまり、私は事件の発生した電車が品川駅に到着する前に品川駅ホームに入り、当該電車到着後、第9回公判の弁護側目撃証人より先に電車に乗り込んだと考えられます。私が目撃した電車は品川駅を先発した電車か反対ホームに停車していた電車であった可能性が高いと思われます。第9回公判の弁護側目撃証人が電車に乗り込んだ際に、すでに私が電車の車内にいたことに矛盾はないと思います。

     電車が品川駅を発車してから、私は半眠りの状態で立っていましたが、女性のやや大きな声を聞いて目を開けたところ、後ろを振り返る女性の姿を目撃しました。この瞬間には女性は私の方向を見ていませんでした。私は、女性の甲高い声と動作から「痴漢騒ぎではないか」と直感的に感じ、絶対にかかわり合いになりたくないとの思いから、体の向きを右向きに変えて、また目をつぶって下を向いて立っていました。  公判で、被害者や検察側目撃者が、犯人は被害者の真後ろに被害者に密着して電車の進行方向に向いて立っていたと述べていることを知りました。仮にこのような犯人が存在していたのだとすると、この犯人は間違いなく私とは別の人物ということになります。私は被害者の真後ろではなく、被害者の右横ないし右斜め後ろに、被害者と密着することなく立っていました。私が女性の声に気付いて目を開けた時に見た光景と電車が出発した時に見た光景は同じで、私は同じ場所に立っていました。その間に移動したこともなく、被害者の女性と密着もしておりませんでした。  ただ、女性が声をあげて後ろを振り返ったあとで、私が少し右に向きを変えて目をつぶり、下を向いて立っていたので、その様子が犯人と間違えられる原因になったのだと思います。弁護団は私とは別の真犯人が被害者の真後ろに立っていたとの仮説を設けて再現実験をし、DVDを作成して公判で上映しました。この再現実験DVDを見ますと、被害者が振り返る前に、被害者が手でヘッドフォンをはずす動作に真犯人が反応して右後方に移動してしまい、被害者が振り返ったあとで私が右に向きを変えて下を向いたために、被害者が私を犯人と取り違えてしまう様子が鮮明に再現されていました。被害者は振り向いたときに犯人を見ておらず、また、犯人を手で触っていない、手首も触っていない、服もつかんでいないと公判で供述しました。ヘッドフォンをはずして振り返ったあとで、私を真犯人と取り違えてしまったのだと思います。

     被害者の発した声はやや大きめな声でしたが、それほど大きなものではありませんでした。その後、泣いていたとのことですが、声をあげていたわけではありません。第9回公判で証言した弁護側目撃証人は、うとうとしていて女性が声をあげたことに気付かなかったと証言しましたが、電車の進行方向左側の座席に着席していた弁護側目撃証人が電車外部の騒音などの影響もあり、この証人に背を向けていた女性が発したそれほど大きくはなかった声に気付かなかったとしても、まったく不自然ではないと思います。

     私が下を向いて目をつぶっていたところ、しばらくして私は私の左とうしろを誰かにつかまれ、私が犯人に取り違えられたことに気付きました。しかし、電車のなかで騒ぎには絶対したくないと考えて、電車が蒲田に到着するまで静かにしていました。被告人質問では、なぜ大きな声で抗議しなかったのか、なぜ真犯人を探そうとしなかったのかと聞かれましたが、私はその時点では、とにかくこの場で騒ぎにはしたくないとの気持ちでいっぱいでした。また、力の強い見知らぬ男に押さえられて身の危険も感じていました。私は顔を人によく知られている身であり、また、過去に事件に巻き込まれたこともあることから、電車内で騒ぎになれば間違いなく大騒ぎになると考えて、そのような行動をとりました。

     蒲田駅で警官と言葉を交わしたことは覚えていますが、「女性に不快感を与えるようなことをした」などの言葉を絶対に発していません。蒲田駅で私がそのような言葉を発したと証言した青木警官は、その後蒲田警察署内で取扱状況報告書を作成したと証言しましたが、同時間帯に蒲田警察署内で取り調べを受けていた私は、警官から「蒲田駅で女性に不快感を与えたと言ったのではないか」などの指摘をまったく受けておりません。このことは青木警官の証言が虚偽であることの明確な証左であると思います。

     蒲田警察署で粘着テープによる私の両手指10本分の付着物採取が行われました。検察官は科学捜査研究所に付着物の鑑定を委嘱し、証人として出廷した科学捜査研究所の市川研究員は、付着物として採取された獣毛繊維3本が被害者が着用していた紺色スカートの構成繊維に類似していると証言しました。これに対して、弁護団は私が蒲田駅駅務室内で2度にわたってもみ合った京浜急行蒲田駅職員が着用していた紺色制服と同一の制服生地を入手し、静岡大学の澤渡千枝教授にその生地の構成繊維と手の付着物から採取された獣毛繊維との同一性に関する鑑定を委嘱しました。その結果、駅員が着用していた制服の構成繊維が私の手の付着物から採取された獣毛繊維と「極めて類似している」との鑑定結果が提示されました。  弁護団はこの鑑定結果を裁判所に証拠として採用するように要請しましたが、却下され、澤渡千枝教授の証人尋問を申請しましたが、これも却下されました。市川証人は付着物の獣毛繊維が被害者女性のスカートに由来するか判別できなかったと証言しており、私の手の付着物から採取された獣毛繊維は、私がもみ合った京急蒲田駅職員の制服生地に由来する可能性が非常に高いと考えます。

     検察側目撃証人は被害者の真後ろに立っていた真犯人を目撃したと証言しました。この目撃者は犯人の顔をじっと見たと証言しました。しかしながら、目撃者はその犯人が私、植草一秀だとは分からなかったと証言しました。またこの目撃者は、当時私がかけていた非常に特徴のあるセルロイド眼鏡を記憶しておらず、事件当時よりも8、9キロも体重を減らし、激しくやせてやつれた私の姿を見て、事件当時よりもやせている、やつれているという印象はないと証言しました。  弁護団は日本大学文理学部の厳島教授に、眼鏡をかけた私の印象に関する心理学実験を委嘱しました。実験では法科大学院の学生に私の写真9枚を1枚当たり8秒ずつ、合計72秒間見てもらいました。写真は被害者の後ろに私が密着していたとの目的者証言に基づいて現場を再現して、目撃者から見える私の姿を撮影したものです。  大学院の学生に3日後に写真について質問した結果、20人中の19人が私が眼鏡をかけていたことをはっきりと記憶していました。目撃証人は、私が持っていた傘や右肩に下げていたバッグについての記憶がなく、特徴のある眼鏡を記憶しておらず、目撃証人の証言時に私が激しくやせてやつれたことにも気付きませんでした。目撃者は私でない別の真犯人を目撃していて、被害者が振り返ったあとに被害者が指し示した私を自分が目撃した犯人と誤認してしまったのだと考えられます。

     被害者および検察側目撃証人は犯人が被害者の真後ろに被害者に密着して立っていたと証言しました。被害者はグレーのセーターを着用していたので、もし私が犯人であれば、私のスーツに被害者着用のグレーセーターの構成繊維が多数付着しているはずです。弁護団は裁判所に対して被害者着用のグレーセーター構成繊維が私の着用していたスーツに付着しているかどうかについて、裁判所による鑑定を求めましたが、これも却下されました。

     平成19年4月20日に、事件当日の当該電車に乗り合わせ、私の様子を目撃していた目撃者が名乗り出てくれました。この目撃者は、当該電車に乗車した直後に私の存在に気付き、電車が発車する時点で、私が植草一秀であることをはっきり認識したと証言しました。電車が発車してから青物横丁駅を通過するころまで、私が酒に酔った様子でぐったりとして、右手で吊革につかまっていた姿をはっきり目撃していたことを法廷で証言しました。この間、私が女性と密着していなかったことも証言しました。証人は電車が品川駅から青物横丁あたりまでを通過した時間帯に犯行があったことを法廷での証言時点でも認識していませんでした。目撃者の証言は犯行時間帯に私が犯罪行為を行っていなかったことを示したものでした。

     証人は事件翌日にニュースで事件を知り、「えっ、うそだろう。車内暴力というイメージが強かった」と思いながら、「通りがかりの通行人をして」そのままにしてしまっていたところ、平成19年1月22日に私が東京拘置所から保釈される際に、寝具などの荷物を台車に乗せて押しながら歩いている私の姿がテレビニュースで放映されている場面を見て、「何かで協力してあげればよかったと思った」と証言しました。その後、過去に私が出版した著書を入手し、出版社に連絡先を問い合わせたが分からず、その後、たまたま簡易裁判所で出会った弁護士に事情を話したところ、隣の弁護士会館に一緒に行ってくれ、弁護士会館で私の担当弁護士を教えて欲しいと申し入れたとのことでした。  ところが、担当弁護士の連絡先がすぐには分からずに連絡先をさがしていたところ、たまたま私の会社のホームページの存在を知り、連絡を取ろうとしたとのことです。しかし、私の会社のホームページに記載されていた電話、FAX番号は平成19年4月13日ころまで利用可能な状況にはありませんでした。平成19年4月13日ころに私が会社のホームページに通信可能なFAX番号を掲示したところ、その直後である4月20日に証人からFAXで連絡が入りました。  私が直ちに弁護士に連絡を入れたところ、弁護士は私が目撃者と直接連絡を取らないように指示しました。その後、弁護士が目撃者に連絡を取った結果、目撃者が公判に証人として出廷してくれることになりました。弁護団は証人に事件の説明をまったくしておりません。また、証人はテレビのニュースで伝えられた程度にしか、事件についての知識を有していませんでした。私は証人とはこれまでまったく面識がなく、証人からFAXで連絡を受けたのち、直ちに弁護士に連絡し、その後の連絡は弁護士から行なってもらい、また、弁護士から証人と直接接触しないように指示され、証人とはあいさつもろくにさせてもらえない状況にありました。したがって、証人が証言した内容は、紛れもなく証人が自分の目で見たことに他ならないと思います。証人として法廷に出廷することには大きな負担を伴うと思いますが、証人が純粋な正義感から多大な手数をかけて名乗りをあげてくれ、公判で証人として証言してくれたことに対して私は強い感謝の念を感じ、公判で証人が心情を吐露した際には強く胸打たれました。

     蒲田駅で電車を降りたあと、私はとにかく女性と話をさせてくれと主張し続けました。私は酔って半眠りの状態にありましたので、電車が揺れた際にバッグか何かが女性にぶつかった可能性も否定し切れませんでした。そこで、とにかく女性から話を聞いて誤解を解かなければならない、そのことだけを考えていました。警察に引き渡されてしまえば、なす術なく犯人に仕立て上げられて、悲惨な報道被害、冤罪被害に直面することは間違いないと思い、とにかく警察が来る前に女性と話をして誤解を解かなければならないと考えました。  ところが、女性と話をすることは、私をつかまえた二人の男性と蒲田駅職員に力づくで阻止されてしまいました。そうなれば、悲惨な事態に突入してゆくことは間違いなく、家族を含めて惨事に巻き込まれるのを遮断するには自分が命を絶つ以外ないととっさに判断して蒲田駅駅務室内において自殺を試みました。蒲田駅職員が私の自殺行為に気付き、力づくで阻止しましたので、自殺は未遂に終わりましたが、この影響で私の両目は完全に充血し、充血が治るのには約1カ月の時間を要しました。  警察に行けば一方的に犯罪者に仕立て上げられてしまい、悲惨な現実に直面するとの私の瞬間的な推理が正しかったことは、のちの現実によって証明されました。被告人質問で検察官は、「誤解を受けた可能性があったのなら、警察が来たときにそのように伝えればそれで済むのではないか」と質問しましたが、痴漢事件における警察での被疑者取り扱いの実態をまったく踏まえない現実離れした質問だったと言わざるを得ません。  私は事件発生時から今日まで、一点の嘘、偽りを述べることなく対応してい参りました。事件当初、被疑事実をまったく知らされず、「痴漢をやった覚えはない」と述べました。9月15、16日に検察庁、裁判所で被疑事実を知らされ、はっきり「そのようなことはしていない」と述べて今日に至っています。

     私は被疑事実にあるような罪を絶対に犯しておりません。また、弁護側の目撃証人は私どもへ連絡してくれた時点が非常に遅れましたが、何らの作為もなく、純粋な正義感から名乗り出て、真実に基づいて証言された方だと思います。裁判所におかれましては、先入観、偏見を持つことなくこの弁護側目撃証人の証言を取り扱われ、無実の者が誤って処罰されないよう、法の正義に従って正しい判断を下されますよう強く要望いたします。
    以上

    以上です。
  33. 神坂裁判長 もとの席に戻ってください。


  34. 〔植草被告人、被告人席に着く〕

  35. 神坂裁判長 それでは、以上で審理を終了いたします。
     判決言い渡しですけれども、10月16日午前10時からということでよろしいですね。
  36. 弁護人3 本日、時間内におさめようということと、わかりやすい弁論の手法をとりましたが、提出した弁論要旨に証拠を引用して詳細に記載しておりますので、ぜひとも目を通していただきたいと思います。
  37. 神坂裁判長 はい。
     期日はよろしいでしょうか。
  38. 弁護人3 はい。
  39. 検察官 はい。
  40. 神坂裁判長 それでは、次回期日は、10月16日午前10時からと指定いたします。
     本日の法廷は、以上で終了いたします。

  41. 午前11時54分 閉廷
 
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